私の研究分野はと聞かれるとなかなか一言で語るのは難しいです。高校3年時は理系クラスにおり、高校1,2年次に好きだった物理をやりたいと思っていたのですが、予備校で教えておられた先生のスマートな英語の授業に影響を受け、文系転身を決意、以降数学Ⅲを勉強しながらの英語関係での進学という道を決意しました。
大学は早稲田。国立の外国語系も補欠合格はしたのですが、当時NHKの英語講座の講師を多く擁していた早稲田に惹かれました。故小島義郎先生(3年ゼミも御担当いただきました)の英語学概論で出てきた生成文法にナイーブな興味を持ち、その内容をあまり知らないまま普通の文法研究を卒論とし、4年次は松阪ヒロシ先生にお世話になりました。当時は重箱の隅的英文法の問題の質問攻めにしてすみませんでした。
学部時代は高校の英語教員を目指したのですが、早稲田では本格的に教える人のいない生成文法をやってみたくて進学先を探し、千葉大学で修士課程時代を過ごしました。指導教員は梶田幸栄先生。素人院生にさぞ困惑されたことでしょう。言語学では故金子亨先生にもえらくお世話になりました。
1年間の浪人研究生時代を経て、読書会で出入りするようになっていた中島平三先生のいらっしゃる東京都立大学の博士課程に進学し、今井邦彦先生と中島平三先生には大変お世話になりました。この時代には遅れて始めた生成文法の最先端に近づこうともっとも勉強した時代です。アメリカ言語学会のサマースクールにも出かけましたが、これが初めての海外でした。年齢の高い両親の一人っ子ということもあって就職を優先し、正規の留学は結局未経験のまま就職することになります。
就職は周囲の勧めもあって応募、九州へ来ることになりました。関係者の方々には散々お世話になりました。もちろん今井先生中島先生のもとで学んだことが大きかったと思っています。もちろんしばらくは生成文法の研究を続けたのですが、1997年にCALLシステムの導入についての業務を命じられてから進路が変わったと言えます。それまでろくにパソコンを使うこともなかった私が仕様策定の段階から主役で担当することになり、その方面の猛勉強をし、数年関係の業務に専心するうちに、次第に生成文法は読書会参加程度に後退してしまいました。踏みとどまれるだけの器用さがあればよかったのですが、以来本職ではないCALL、3次元仮想空間チャットシステムによる英語対話授業、国立七大学外国語CU委員会、映画の教養科目などの業務が中心の生活となり、執筆する書き物も、時間をじっくりかけた研究論文というよりは、さまざまな業務の総括を行う実践報告的なものに変わっていきました。目の前に空いた穴を埋めてきたつもりなので、これでも大学教員として求められたことをこなしてきているつもりです。特にCALL科目の切り回しはいなかったら運営に重大な障害が発生しかねない立場で当たっています。
こうした中で私のライフワークになったのは、廣田稔九大名誉教授から受け継いだ「ケンブリッジ大学英語・学術研修」です。高校時代からなりたかった英語「教員」にようやくなれたような気がしています。
2015年4月、教授に昇任しました。ますます担う責任が重くなりますが、今後とも、汗をふきふき、いろいろな業務に、謙虚さを持って臨み、世の役に立ちたいと願っています。